オーストラリアに移住するなんて

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オーストラリアに移住

って、いつ頃から考えていたんだろう?
まさか自分が移住するなんて!
色々なまさかが現実になる時怖くなる時があります。

自分は何も変わらないけど周りが変わって行く、周りのスピードに自分がついていけてない気がする。。

高校生ぐらいのある時祖父(自分のルーツをたどると自分の存在が何って色々気づいて面白い!!)のところへ孫達が大勢集まって将来何をしたいか言いいなさい、と。

その時自分はアメリカに移住する!って言ったんです。
何の根拠もないけどこの時から海外に住むという意思が決まったんですね、アメリカには住んでいませんが笑

その後何故かはじめての移住地はパースだったんですが、驚いたことに、現実にはならなかったのですが、祖父が海外で休養するための家を、お弟子さんが用意されていた事を知った時、あ〜祖父に導かれるように行くべきところに行ったんだなって思いました。

祖父はお坊さんで長野市で大本山無形山活禅寺という禅寺をやっていて、(すでに他界していますが)、現役時代の中曽根総理や野球の王貞治選手も来ていたそうです。

祖父の話はまたいつかしますが、小さい頃雷に打たれ、数日気絶をしていて、その後、仏法に目覚め、10代の時に、インド、中国と修行をして、長野に帰って禅寺を自らの手作りで作ったのが始まりです。

100日禅という座禅をし続けるという荒行をしたあとの祖父は、体はピンクで骨のような体で、長い白いひげを蓄え、まるで仙人の様な姿を今でも覚えています。

 

海外に移住するその日、ちょっと行ってくるね。

ちょっと行ってくるね!
ちょっとそこまで行く時と同じセリフで成田空港まで送ってくれた親に挨拶して飛行機に乗り込んだことを覚えています。

すべてが新しい

海外生活はパースから始まりました。ここではすべてが新しい関係を作る事になり、異業種交流と言う名の集まりを毎週毎週、仕事が終わる度に色んな人が集まり夜遅くまで談話して楽しい時間を過ごし、色々なパース事情を知ることが出来ました。

全てを自分でやる(覚えて行く)のも大事だけど、時間を有意義に過ごす為には自分以外の、それぞれの専門分野の達人達を友達にすることで、短時間で海外生活の基盤ができました。

日本からのスタッフも皆優秀な人ばかりでしたので短期間でしたけど多くの顧客様に指示され、
目的がはっきりした海外生活をして日本帰国後も皆美容師で大成功しています。

なんでもいいから小さな目標でも達成すると楽しい。

外国で店を出したい   達成した。
プール付きで海の近くに住んで見たい   住んでみた。
日本とオーストラリアを行ったり来たり仕事をしたい  行ったり来たした。

願望は結構叶うもんだ。

願望を手に入れる事、大事な人を失う事
コントロール出来ないのは後者だ。
リンりん 夜中の電話?
日本へ帰って来なさい。姉からの電話だ。

父親が癌になった。

辛かった事は父親の癌の事実より姉からの攻撃だった。毎日のように海外にいる現状を非難され続けられた。

自分の意思は一つも通じない。オーストラリアから全面帰国をする事になった。

父親の看病をする為に帰ったが、姉の言葉の攻撃を避けるために帰った様なもんだ。

自分に何が出来るのだろうか?

日本に帰国し、姉夫婦の(住職をしている)お寺に住む事になった。仕事もしないわけには行かない。

家と病院に近い所にとりあえず働かせていただける場所を見つけた
全く知らない土地で従業員として働くなんて思いもしなかった。

父親は姉夫婦の住む愛知に住んでいたので東京しか知らない自分にとってはオーストラリア以来の移住感覚だ。

朝はお寺なので仏壇の水を取り替えるのが日課だ。(修行が始まった)

朝起きて(ヒロというワンちゃんがいた)犬の散歩してお店に行って帰りに病院によって家に帰り仏壇のお供えを整え、食事をして寝る。規則正しい生活だ。

シンプルだが毎日が瞑想のような生活が始まった。

歳を取る前(すでに82歳だったが)に手術をして長生きをしようと、父親は胃を全摘出する事になった。

老人が胃を全摘出するのは術後体力、気力を保つ事はとても難しいという事を身近で経験をした。

全摘出して骨皮だけの姿で点滴を引きながら病院から退院して来た。

自分ができる事は毎日一緒に過ごす事だった。長い間父親と一緒の時間を過ごすことはなかったのでとても貴重な時間をいただいと今は感謝してます。

いま現実に起こっていることはこういうことをするためにそうなったんだって、すべてがつながってみえた。

そんな体の父親は自分が仕事から帰って来ると、あの頃の懐かしい、いつもの時間を与えてくれた。父親がごはんを作ってくれている。

骨と皮だけの体で点滴を引きながらいつもの3倍近く時間がかかってもいつもと同じことをしてくれた。一緒に食事をしテレビを見、そして眠る。

気丈な時代を生きた男なのでちょっとやそっとでは自分からは弱音を言わない。いつもの父親だ。

見るからに辛そうだったがあえて自力でやってもらった。

(今思うと、自力でやらなくてもいいよ、と言った時からベッドから起き上がれなくなり、自力でトイレに行かなくて良いよ、と言った時から立ち上がれなくなった。)

人の助けは必要だが遠くから見ていつでも助けれれる距離感を保ち、自ら行動をする事で一日でも長く生きるっていう感じを味わえるんでしょうか。。

半年の間父親と一緒に生活を出来た事は人生において悔いが残らず良かった。姉に感謝だ。

そんなこんなで半年が過ぎ父親と別れを告げる事になったが、時間は二度と戻って来ない、ああしておけば良かったって事はやっておいた方がいい。

わからない未来を考えるより、今この時を大事にしなければいけない事を痛感した。

もっと話せばよかった。過去も戻らない、今だけが全てだ。全力で今を楽しもう、後悔のないように。

なんやかんやいい日本の生活が1年半も過ぎる頃、そろそろオーストラリアに戻るかという気持ちが溢れ出し、戻る手段を模索していました。

そんな時ここアナリーで美容室をしていた人物と出会い一緒に働くチャンスを頂きました。
さあオーストラリアに再び帰れる。

しかし又、今度はパースではない、全く知らない土地で0からいきなりお客様を作るということは至難の技だ。

半年あればなんとかなるという自信

しかし自分には絶対の自信があった。

半年あればある程度忙しくなると言う根拠のない自信があったので焦りはしなかった。そんなこんなで半年くらい経ったある時に、ひょんなことにお店を引き継ぐ事になりブリスベンで再び美容室ビジネスがスタートする事になった。

半年でちゃんとチャンスが来た。言った通りだ!

独り美容室の始まり

ブリスベンの店は基本マンツーマンの仕事をしている。シャンプーから仕上げまで全て自分でこなす。
人から見ると誰か居ると楽なのにとか、一人で大変そうに、とか言われますが自分の中ではやっと実現できたアトリエ工房で好きなことをやってるという事。楽しんでいるって。

しかしいきなり引き継いだお店でがむしゃらに働くスタイルで朝から晩まで働いていると、、いつもの癖でこれで良いのか?飽きてしまうんです、何かが足りないって。

そして又あたらしいことを考える毎日になりました。

降ってきた無計画な2店舗目

そんな時ゴールドコーストに住みたいって、毎日考え、せっかくオーストラリアにいるんだから海のそばで暮らしたいって。こうなると欲が止まりません。

自分局チューニング

住めるかもしれない。休むためにどうしようって、その思いがマックスになった頃自分のチューナーはゴールドコースト局をチューニングし始めてきました。

チューニングをするって大事な事で、聞きたい音楽をさがしてる時はアンテナを張り、色々な音楽を集め、チューニングし大好きな自分に心地の良い音楽を聞く、これぞ幸せ探しの法則なんだ!!

アンテナを広げゴールドコーストチャンネルにチューニングし、さらに細かくチューニングすると一人の人物が突然お店にご来店しました。

欲しい車が無い時は目の前を走ってる車なんて車種とか全く気にしもしないけど、一度これがほしいって思った途端、メーカー車種が次々に目の前を走るのを見つけることが出来ます。

そのお客さんといつもと同じ様に接客をしていると、ゴールドルコーストの話になりました
私:ゴールドルコーストで店を出したいんですよね。って言ったら
住む為にも仕事場がゴールドコーストにあれば住めるんじゃないかって^ ^

そうしたら
初めてご来店したお客さん:そう言えば私が紹介した方のお店が閉めるっていう事話していましたよ!

来た〜!!これ自分の店になるなって。感じました。

話しを聞くとこの方は不動産屋さんでゴールドルコーストに住んでいたのですが日本に帰国するという事でたまたまブリスベンに用事がありお店に立ち寄って髪を切って行こうって。

早速お店の電話を聞いてすぐさま電話をしました。

私;お店をやめるって聞きました。。

店主:え?誰から聞いたんですか?誰も知ってない事なんですがね??

そう、又しても突然アポなしズカズカ電話してしまいました。

こういう時に反応が大事で相手からの反応がどう返ってくるかでチューニングがうまく言ってるかどうかの判断になるのです。

つい最近も数年間、目をつけていたお店がPaddington という結構おしゃれなところにあるのですが、ふとフェースブックを見ていたら、やめるって書いてありまして、
来たっ、てすぐにメールをしたんですが返事がありませんでした。これチューニングが合ってなかったんでしょうね。

数日経ってお店を見に行ったら内装全部壊していました。
巡り合わせがよければ入れ替わりチューニングしてスーッと入っていけるんですが縁がありませんでした。

その後そこは1年でお店を閉めていました。

ゴールドルコーストはと言うとオーナーの電話を聞いて(日本にいました)早速電話?
やめるって聞いたんですがもし譲っていただけるなら。。。

この時も後先何も考えて無いんですね。

お金が出来たらやろうとか、準備が出来たらやろうとか、ああなったらやろう、なんて考えは自分には何も魅力ありません。

今やりたいからやろうって思ったから行動してみる。それから考える。これって多分一般的にはよく無い例でしょうね。

自分はこういう方法で切り開いて来ました。

人の成功法則は自分には当てはまりませんし、人のやり方も真似ません。聞いたら見たら、知らずに真似てますけどね~。だから見ても聞いても同じ事はしない^ ^

このゴールドコースト店は結局5年やりましたが、それぞれのスタッフがとても勉強してくれました。自分のお店というより、みんなの修行のために出店したお店でした。自分にとってもお勉強でした。

海外でスタッフを雇うということは条件がとても悪く、そこにいつもつまずならいっそスタッフがいない独りサロンが快適って決断しました。

スタッフ探しもチューニングです。人生チューニングです。

宇宙の法則ですので。でも身の丈をわきまえてやらないと長続きはしません。

自分が受け入れられる範囲が手に入ります。自分の器をまずは確かめ、大きくしていく。

大きく行きたいなら自分を信じ、コツコツ自分を作り上げて行く。気がついたら大きくなって受け入れる量が多くなっています。

自分探しのインプットだけではなくアウトプットです。自分がチューニングして電波を発信する。そうすると相手のチューナーに届き相手が同調し受信されるっていう法則。

一人では何にも出来ないので同調してくれる人を探し出しんです。

ネットで発信してるってこともいいんでしょうね。自分は目に見え無い発信で繋がろうとしていますからちょっと変人ですね。

決めるのは自分だけど、誰かの意識を借りてやりたい事をやるんで、ある意味人任せですね。

そういえばゴールドコースト店も数十万円で売ってくれました。お金はなくてもお店は出せるんです。
昔、代官山でお店を始めた時も、2000万円の譲渡物件を30万円で契約して60万円の家賃を38万円にしてもらい、お店をはじめました、一等地です。今はその時の縁で店長さんになってもらった方に引き継いで経営してもらています。とても縁がある素晴らしいところです。

世間で言う引き寄せみたいですが、相手からココでやってくださいという、限りなく迎え入れていただく法則ですね。なのでお金が発生しないことが普通です。